この問題点はせかラテでも主張しました(第7章3.5「米国の裏庭」論の問題より)。とりわけ、今回の介入に引きつけて考えるならば、北中米・カリブと南米では、米国による公然たる、直接の軍事介入の密度が歴史的に大きく異なります。たとえば北中米・カリブでは、ハイチ占領(1915–34)やドミニカ占領(1916–24)、ニカラグアへの反復的介入、そして今回の対ベネズエラ作戦と比較参照されるパナマ(1903-99)など、軍事占領や非民主主義体制への介入が反復されてきました。この点は(せかラテ)第6章2「米国の介入」でも触れていますので確認してみてください。
これに対し南米では、緊張や危機が生じたりチリのクーデター(1973)などへの米国の関与が確認されていたとしても、占領や体制転換を正面から狙うような大規模な軍事行動は、長いあいだ例外として位置づけられてきました。それゆえにK. J. Holsti も『The State, War, and the State of War)』で南米を重要な例外(アノマリー)として取り上げ、「介入や軍事危機、軍拡はあっても(少なくとも彼の区分する)国家間戦争には至りにくい」地域、いわば no-war zone に近いものとして整理しています。
しかし、今回の対ベネズエラ作戦は、この「危機はあるが戦争には至らない」という境界を越えうる出来事でした。もちろん “war” をどう定義するかで評価は変わりますが、ここで war を「死者100名以上を伴う武力紛争」と定義するのであれば、報じられている死者数が100人規模に達している以上、(この定義に立つ限り)Holsti の “no-war zone” 命題は反証された、少なくとも反証されたとみなしうると考えます。
ただし重要なのは、ここから直ちに「ラテンアメリカは米国の関与に無抵抗で統制される空間=裏庭である」と結論づけることはできない点です。今回の出来事は米国が強制力を示した一方で、ラテンアメリカ諸国側の反発や分裂といった多様性、そして一つの事象が連鎖して生み出す安全保障上のリスクを可視化しました。そうした意味で、「裏庭」という比喩が含みがちな単純化、すなわちこれまでも米国がラテンアメリカを統制することは自明だったというイメージを、むしろ揺さぶったと言えます。せかラテの読者には、「裏庭」というイメージが過去の米国優位を過度に強調する印象操作として作用しうる点に留意しつつ、ラテンアメリカ諸国の主体性に目を向けてほしいです。
