ラテンアメリカ映画はこれまで数多くの名作を生みだしてきました。こうしたラテンアメリカ映画の中には、ラテンアメリカの政治を扱う本書の理解を助けてくれる貴重な作品もあります。
「映画からみる世界の中のラテンアメリカ政治」と題したシリーズは、本書の内容に関連するラテンアメリカ映画を紹介します。その内容から学生に考えさせる問いやディスカッションのテーマの例を示し、授業の中で学生への問いかけをどのように位置づけるかを解説します。
第1回目は、1973年のチリを舞台にした「マチュカー僕らと革命」です。
【作品名】マチュカー僕らと革命ー
監督 アンドレ・ウッド 出演 マティアス・ケール アリエル・マテルーサ
原作 Machuka 制作 2004年 チリ、スペイン
【ストーリー」この映画の簡単なあらすじです。
1973年のチリ。首都サンチアゴに住む11歳ゴンサロ・インファンテは裕福な家庭でそだった 成績優秀な少年だが、いじめられっ子である。その彼の学校に貧民街に住む先住民の少年たちが入学してきた。社会主義的政権の新方針で、貧しい子どもたちに無料で教育を受けさせることになったためだ。ゴンサロは、そうした少年のひとりペドロ・マチュカと友達になる。ゴンサロとマチュカは、互いの生活格差を乗り越えて友情を深めていく。社会主義政権の同化政策は、貧困格差や人種格差を乗り越えてチリ国民をみんな幸福にすると期待されていた。しかし、長い年月をかけて形成された差別意識や生活の格差は一朝一夕には払しょくできず、大人たちの軋轢は次第に子どもたちの心もむしばんでいく。
【講義】映画の内容を理解できるように事前に講義を行います。
おすすめは、第7章(軍事政権の多様性)の内容までですが、当時の歴史背景を理解するために第8章の内容(チリの軍政登場から崩壊要因まで)を先に説明してもよいでしょう。映画の上映時間は120分です。90分の授業の場合は、映画鑑賞とアクティビティは2回分の講 義を活用します。1回は映画の途中まで、もう1回はこれまでのあらすじ、映画の残り、ディスカッションとコメントシートの記入などに分けます。前回講義の復習もかねて、翌週の講義で学生のコメントシートを紹介しましょう。
【当時の時代区分】当時の世界・日本・ラテンアメリカがどのような時代区分の中にあったのかを意識しながら映画をみましょう。
映画の舞台となった1973年は、ラテンアメリカは「積極国家期(「せかラテ」5章から9章)」に位置づけることができます。
【本作品を理解するために必要な背景知識】映画を見ながらラテンアメリカおよび政治学に関連した疑問がいくつか思い浮かぶかもしれません。
以下の本作品を理解するために必要な背景知識は本書の中でも紹介されています。
◇なぜ軍は政治に介入するのか(6章 全体)
◇なぜ米国は軍政の登場を黙認したのか( 6章3 共産主義の脅威)
◇1973年のクーデターの原因はなにか
ピノチェト軍事政権はどのような政治運営を行ったのか
⇒ 8章3 「チリI 移行開始の原因」
【映画を理解するうえで必要な概念】ラテンアメリカ政治に関わる概念を知ることは映画の理解を深めるでしょう。
○ カトリック 1章 コラム「カトリック」
○ 社会主義(共産主義) 4章2「社会主義・共産主義との関係」
【問い】 本日の問いは以下の通りです。
映画を通じて不平等の実態や軍のクーデターの発生要因、軍政が人や社会に与える影響、歴史認識などを考えさせる問いを提起できるとよいでしょう。
Q1. 富裕層と貧困層の暮らしや態度にはどのような違いがあったか。
Q2. チリではなぜ軍事政権が登場したのか。
Q3. 経済・社会・教育の格差がゴンサロやチリ全体に引き起こした問題は何だろうか。
【ディスカッションのテーマ】映画鑑賞後、教室を小グループに分けて感想を共有しましょう。
・1973年9月のクーデター前までのチリの政党政治は、「三等分構造」(tres tercios)と呼ばれ、左派(社会党&共産党)・中道(キリスト教民主党)・右派(国民党)がそれぞれ3分の1程度の政治勢力を有していた。映画に登場する3つの思想と主張にはどのような違いがあり、登場人物の誰がどの政党を支持し、また嫌っていただろうか。それぞれ説明してみよう。
・映画で描かれた後の世界で、ゴンサロはどのような大人になっているだろうか、みんなで想像してみよう。
【本映画に対するコメント】
一見すれば政治と無関係な子どもの視点から描かれたチリ映画の傑作からは、軍政は日常と関係のない軍部の暴走により生まれるのではなく、軍政を望む私たちの心が生み出したものだということを実感できます。
授業を通じて、少なくとももう30回以上はこの作品を鑑賞しています。ストーリーの展開は完全に覚えているにもかかわらず、ラスト10分の映像は今でも何物にも代えがたい「やるせなさ」をずっしりと感じさせます。しかしこの「やるせなさ」こそが、私がこの映画を視聴しつづけている理由となっています。この映画を最初に観たとき、私はまだ学生で、自分が感情移入していたのは、何不自由のない暮らしをしていることに何か満たされない思いを持ちつつも、貧しい暮らしをする方たちを安住の地から眺めていたゴンサロのほうでした。それから20年がたち、今ではすっかり主人公たちとは年の離れた彼らを指導するマッケンロー神父の立場からこの映画を観ています。
格差がうみだす人と社会の対立と暴力に立ち向かい、豊かな学生にも貧しい学生にも平等に、時に厳しく時に優しく接するマッケンロー神父の姿には尊敬の念を抱かずにはいられません。私にとって本作は、ラテンアメリカ政治の研究者を志すきっかけを与えてくれた映画であり、政治とは常に私たちの身近にあるものだからこそ、いまの自分に何ができるのか、大学教員としての使命をこれからも忘れないための大切な映画となっています。
