ラテンアメリカという概念の偏り(改稿)

2025年10月17日金曜日

投稿者:宮地 隆廣

パナマ フランス 第12章 第1章 第3章 第5章 米国

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第1章では、言語を基準にしてラテンアメリカを定義しました。具体的には、南北アメリカ大陸においてスペイン語とポルトガル語、フランス語を主に話す国と地域をラテンアメリカとしています。ある特定の国や地域(例えばメキシコ)で、支配的な言語が何かを(メキシコであればスペイン語であることを)特定することについて、人によって意見が異なることはまず生じないため、この定義は共有しやすいものと言えます。

一方、ラテンアメリカという概念の主観的な偏りを強調する考え方もあります。概念にはそれを使う人の理想や利益が反映されるというのがその基本的姿勢です。ここでは、ラテンアメリカを批判的に問う2つの視点を紹介します。

(1)フランスの視点

19世紀フランスの知識人であるミシェル・シュバリエ (Michel Chevalier) は産業発展に関する提言を積極的に発表した人物です。1833年、シュバリエは政府から交通網を視察する命を受けて米国に渡航し、後に隣国メキシコにも足を運びました。旧イギリス領の米国と旧スペイン領のメキシコという異なる社会に触れたシュバリエは、帰国後に『北アメリカに関する書簡』(Lettres sur l'Amerique du Nord)を発表し、ヨーロッパにはチュートン(イギリス)、ラテン、スラブの3つの文化があり、これに対応して、アメリカにもラテンアメリカがあるとしました。

さらにシュバリエは、独立後の米国とラテンアメリカ諸国の国家形成の差(第3章)と重ね合わせ、成長著しい米国が将来、ラテンアメリカの自立を脅かすことを懸念していました。当時の米国にはヨーロッパを身分制の残る古い大陸とし、アメリカをその伝統から解放された新しい大陸と見なす議論がありましたが(第5章)、シュバリエは大陸を横断する文化的なブロックとしてラテンを構想したことになります。

この構想は後に、フランスの影響力をアメリカ大陸に拡大する根拠として利用されました。自由主義と保守主義が激しく対立したメキシコで、保守主義者がフランス軍を招き入れ、マキシミリアン帝政を実現した際(第3章)、フランスでは文化的同胞であるラテンアメリカを救済することが強調されました。シュバリエもメキシコへの派兵を支持しました。

なお、ラテンアメリカの知識人もまた、ラテンアメリカという概念に様々な期待を込めていたことが分かっています。柳原孝敦 2007『ラテンアメリカ主義のレトリック』(エディマン) に詳細な分析がなされています。

(2)先住民の視点

「ラテンアメリカ」はスペイン語やポルトガル語 (América Latina)、フランス語 (Amérique latine) などロマンス諸語の表現を英語に直し (Latin America)、それを日本語のカタカナで言い表したものです。つまり、ラテンアメリカとはアメリカ大陸を植民地にしたヨーロッパ諸国の言語による概念です。そうなると、植民地になる前に住んでいた人々、いわゆる先住民の人々の言葉、ラテンアメリカに相当するものを表現できる可能性が考えられます。

1980年代より、ラテンアメリカでは先住民の地位向上を求める運動が活発になりました(第12章第3節)。この運動に携わる人々を中心に、アブヤ・ヤラ (Abya Yala) という呼称を使う人が増えています。これはパナマとコロンビアに在住する先住民であるグナの言葉で、彼らの歴史・地理観念に基づき、現在の南北アメリカ大陸に相当する地域のことを指すとされます。グナ以外の先住民言語にも同様の広がりを持つ概念があるとされるものの、先住民の国際会合でアブヤ・ヤラが用いられるようになり、広く受け入れられるようになりました。

土地を奪われた先住民の立場からすれば、地域の呼び名として植民者の言葉を優先して使うことに疑問が向けられます。限られた資源の権威的配分が政治であるという定義に従えば(第1章)、何かを指示するために特定の呼び名を使う(あるいは使わない)ことも政治であることを、先住民の視点は指摘していると言えます。

 ※この記事は、東京外国語大学海外事情研究所主催の合評会における質疑応答を踏まえて作成されたものです。

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