第6章では、ラテンアメリカにおいて軍事政権を定義することが必ずしも簡単でないことが説明されています。その原因の1つとして、ラテンアメリカの複数の国に存在した国家警備隊 (Guardia Nacional) の位置づけがあります。国家警備隊は警察でありながら、軍の機能も持つことがある上に、組織の役割に関する法的根拠もあいまいなことがあります。
<ニカラグア>
ニカラグアでは、自由党と保守党の政治対立に米国が介入し、米軍がニカラグアに駐留した際、1925年に国家警備隊が結成されました。創設時のニカラグアの法律は国家警備隊の目的を国内治安の維持であると定め、軍とは区別していました。米軍が撤収した後、国家警備隊の長であるアナスタシオ・ソモサが政権を掌握し、長期に渡り独裁を行いました。バーバラ・ゲッデスらの研究に基づいた軍事政権の期間を示した図6-1では、1979年まで続くソモサ家3名の政権は軍事政権とは見なされていません。
しかし、1939年に制定された憲法では、公的な武装組織に関する条文の解釈が難しいものの、国家警備隊は警察と区別され、軍としての役割も期待されています(第218条、第335条)。実際、国家警備隊は戦車や戦闘機など軍が持つべき武器を装備し、対外的な脅威に対応することもありました。隣国コスタリカで1948年に起きた政変に対する武力介入(第9章コラム参照)、そして1957年に起きた国境をめぐるホンジュラスとの戦争(Guerra de Mocorón) がその例です。
<パナマ>
コロンビアから独立したパナマは当初陸軍を持っていましたが、米国がパナマ運河地帯を防衛する観点から軍の解体を迫り、それに従いました。その後、米国の支援を受けて、国内の治安を守る警察組織が作られました。パナマの国家警備隊はこの警察から発展した組織です。
1953年の法令44号で、警察は国家警備隊と称することになりました。ところがその後、国家警備隊は米国と交渉して戦車などの武器を取得したり、隊員を米軍の教育機関に派遣するようになりました。1968年には国家警備隊の幹部であったオマール・トリホスがクーデターを起こして、1981年まで政権を実質的に支配しました。この間、1972年に憲法が改正され、国家警備隊は国防を担う唯一の政府組織であることが定められました(第305条)。
図6-1では、パナマの軍事政権は1968年から始まっていて、これはパナマ政治史の一般的な通説に従っています。その時期までに国家警備隊は軍としての性格を強めたという解釈が背景にあるものと思われます。ただ、1968年の時点で、法律の上では国家警備隊は警察です。
<ドミニカ共和国>
ドミニカ共和国でもまた、米軍占領下の1917年に警察機能を持つ組織として国家警備隊が結成されました。米国はドミニカ共和国を占領した際、軍を解散しましたが、陸軍はその時まで警察の業務を兼ねていました。米軍が撤収した後、当時の大統領であるオラシオ・バスケスが国家警備隊を「陸軍 (ejército nacional)」 と改称しました。警察機能を持つ組織が軍を名乗るのは奇妙に見えますが、米国占領以前の状況を考えれば、こうしたあいまいさは問題ではなかったということになります。
なお、この「陸軍」の長を務めたのが、1930年より長期独裁を行ったラファエル・トルヒーリョです。トルヒーリョ政権のもと、1934年の憲法改正で、軍に関する規定が更新され、さらに1936年には全国警察 (policía nacional) を創設する法律が定められました。そして、1950年代に入ってようやく、軍にまつわる法律が整備されるようになりました。
<ハイチ>
最後に、ハイチでも米軍占領を機に、国民警備隊に類する組織 (Gendarmerie d'Haïti) が作られました。これが現在のハイチ軍の前身とされています。しかし、ハイチではこの組織が政権獲得の主体にはなっていないため、上記の3国のように軍事政権か否かを問う必要性が生じません。
